高城剛の「モノを捨てよ 世界へ出よう」

On 2014/03/08

モノを捨てよ世界へ出よう

 

高城剛の「モノを捨てよ世界へ出よう」を読みました。

もう15年以上前、僕がまだ映像作家をしながら博報堂DYインターソリューションズの前進であるインディビジオの立ち上げに走り回っていたころ、初めてお会いした高城さんは、まだハイハットをご自身のトレードマークにしていました。高城さんの先見の明はその頃からすでに注目されており、沢山の人に囲まれている眩しい存在でした。

高城さんが「ハイパーノマド」的なリビングを提唱してから少しタイムラグがありますが、僕もその生き方に片足突っ込むこととなりました。色々不安になるなか、高城さんの「モノを捨てよ世界へ出よう」は、背中をグイグイ押してくれました。この道は間違っていないんだ、と思える勇気を注入してもらいました。ありがとうございました。

以下、僕の中で「引っかかり」のあったコトバのメモを読んで
興味がわいた人は、手に取って読んでくださいね。

 

 

絶望的に遅い日本の政治システム

終身雇用制度が崩壊したいまの世においても、
年功序列や学歴偏重といった歪な仕組みだけは残っているし、
問題が起きても誰が悪いのかわからないという、
責任の所在の不明確さも相変わらずだ。
こうした「日本らしさ」がさまざまな意思決定を先延ばしにして、
イノベーションの幾運を根元から削いでいる。
その典型が「官僚システム」だろう。
与えられた業務をそつなくこなし、減点する機会を避け続ける程、
出世してから儲かる仕組みになっている。
こんなの、誰が考えたっておかしいとはおもわないだろうか。

このような官僚システムに支えられた日本の政治は、
安全で平和な環境のもと、穏やかな成長が続く環境の中で
完成された「ぬるま湯」のシステムだ。
高度経済成長期を走り抜けた時代においては、
突出した人材のもとで変革を図るよりも、
みなが横並びになってそこそこの能力を発揮するということが、
それなりに意味があったのだと思う。
しかし、政治も経済も、すべてが世界と密接にリンクした
現在においては、そのような組織が通用するはずはない。

ましてやいまは、1000年に一度の超大型地震に
見舞われたという国家の一大事だ。

絶望的にスピードが遅く、
誰も明確に責任を取ろうとしない日本のシステムのもので、
被災地の被害状況の確認や放射能の現状把握などを、
どうして確実に行なうことができるだろうか。
こうした危機的状況にあって求められるのは、
迅速に信頼性のある情報を提供することだが、
現在の日本の政治システムには
「迅速性」も「信頼性」もないのだ。

 
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アメリカの一部支配層には、社会情勢が安定しているいまのうちに
財政破綻に持ち込んだほうがいいのではないかと考えるものもいる。
僕自身、海外の政府要人やジャーナリストたちと直接会話する中で、
そうした考えに触れることが何度もあった。
日本の政治家や官僚は、実際にそのような動きが明確な外圧として
のしかかってくれば、反骨精神を見せつけるわけでもなく、
素直に流れに乗ってしまうかもしれない。
「国際暴落も円安も財政破綻も、世界情勢のもとでは仕方のないこと
だったのだ」と、責任を負わずに済むからだ。

日本の経済基盤は、実に脆いものだと僕は考えている。

 
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見逃せないのは、こうした問題を受けて、すでに日本は終わったと
感じている人も海外には多いという事実だ。
彼らにとっての日本への興味は、年寄りが蓄えた資産をどうやって
絞りとるかだけに尽きる。
かつての都にはまだ宝は残されており、
ハゲタカと呼ばれる精鋭たちが奪取するための
手練手管を練っているのだ。
原宿、秋葉原と続いた東京のカルチャーは次のムーブメントを
見出すことなく終焉してしまった。
クールジャパンと称して海外で日本文化が話題だというが、
あれは残された資産を買い叩かれているに過ぎず、
そこから発見されるイノベーションには皆無といっていい
だろう。

 
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行動範囲を広げよう、世界を見よう!

1929年の世界恐慌は、その10年後に第二次世界大戦を幕開けさせた。
2008年のリーマンショックを世界恐慌になぞられば、
2018年に何かが起こるのかもしれない。
それが世界的な戦争でなくとも、今後のパワーバランスを
大きく左右させるような一大事が起こるのではないだろうか。

ーー

日本に革命をもたらしたのは、海外の動向を注視し、
見聞を広めたり、実際に海を渡って知識を得た維新志士たちだった。

ーー

日本を見つめ直すためにも、また、変化し続ける時代に
自分自身を適合させるためにも、海を渡るのだ。
時代はいま、新たな志士を欲している。

 
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海を越える経験を積み重ねることで、
国際感覚というセンスを磨くことができる。
スポーツの世界に国境がなくなったのと同じく、
今後はもっと多くの領域で国という枠組みが薄れていくだろう。
そうした社会の中では、いわゆる国際感覚の有無がその後の
成否を分けるようなシーンが増えていく
ものと思われる。

 
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引きこもっても日本は何も変わらなかった

国土交通省のデータによると、
2009年、日本の出国社数は1598万人で世界14位、
入国者数は679万人と世界33位となっている。
2006年のデータでは、それぞれ13位と30位だったので、
どちらも順位が下がっているのかがわかる。
この数値は、先進国からすれば相当に低い数字といえるだろう。
またこのランキングには、人口の割合は加味されていないため、
それを考慮すれば日本の「海外渡航力」は
さらに下に位置すると思われる。
日本は他国と違って四方を海に囲まれているという反論は、
同じ条件であるイギリスが4倍以上の出国者数を記録している点から、
論じるに値しない。
しかも人口比で考えれば、
イギリスは全国民平均で一人が年に1.12回は海を渡っているのに対し、
日本はわずかに約0.12回だ。

 
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荷物を極小化することは、物理的にも精神的にも、
「いつでもすぐに動ける態勢をとっておく」ことを実現させる。

それはいつ何が起こるかわからない現代において、
一層大事になってくる。

 
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このまま日本に留まっていては良くないことが起こると直感した僕は、
生活スタイルを大きく転換する決意をする。
それが、長期の安住場所を持たずに世界を回る「ハイパーノマド」だった。

ハイパーノマドとは、フランスの経済学者で同国政府のブレーンでもある
ジャック・アタリが提唱した21世紀のライフスタイルのひとつで、
彼は今後、国を越えて稼ぎを得る非定住者と
国をでることができずに貧困に過ごす安住者とに世界は別れる

といっている。

現在の日本を見てもわかると思うが、
いまビジネスは国内だけを見れば済むものではなくなった。
特に理由なく国内という枠組みだけに固執すれば、
自ら市場を縮小しているようなものだし、
特に称し高齢化が済む日本市場だけを注目していても、
あまりあかるい未来は描けない。

 
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洋行を経験した者こそが、自分を、そして日本を
変えていけるのだ。

 
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最悪な事態が訪れないためには、
いますぐに最良の選択を選ばなくてはならない。
それは、僕ら一人ひとりが個人の力を磨いていくしかない。
一刻も早く「時代の出る杭」になるのだ。

これからは個の時代であり、
いまのままでは日本はますます窮状に立つことになることは、
事実だと考えている。

 

 

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*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。

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