外山滋比古の「思考の整理学」

思考の整理学

 

外山滋比古の「思考の整理学」を読む。

僕は、ハワイという離島から世の中のトレンドを俯瞰して見つめ、そこでの発見を企業やブランドの構築に繋げるようなコンセプトを打ち出すことを仕事としている。様々な情報をインプットし、過去の体験と未知の想像を人間の行動心理と掛け合わせ、必要な時間をかけてこれらを体内で発酵させ、企業やブランドの「コンセプト」の形に落とし込む。その一つ一つのアウトプットが自分にとっては書き下ろしの小説のように愛おしい。しかし、そのプロセスは楽観的に捉えたとしても、骨身を削る苦痛を伴う作業でもある。そのため、自分を守るという意味でも、ゴールまでは最短距離、最短のスピードで走り抜くことが極めて大切である。そして最速で走るためには「思考の整理」が必要不可欠だと思っている。

本書「思考の整理学」は、1986年に発行された著書であるため(所謂ネットを中心とした情報化の前のに発表された作品であるため)、その章によっては時代遅れの感は否めない。しかしながら根本的な(普遍性のある)思考の整理方法として捉える上ではとても参考になる。

 

以下気になったフレーズのメモ:

 

グライダーと飛行機は遠くからみると、似ている。空を飛ぶのも同じで、グライダーが音もなく優雅に滑空しているさまは、飛行機よりもむしろ美しいくらいだ。ただ、悲しいかな、自力で飛ぶことができない。学校はグライダー人間の教育所である。飛行人間はつくらない。グライダーの練習に、エンジンのついた飛行機などがまじっていては迷惑する。危険だ。学校では、ひっぱられるままに、どこへでもついて行く従順さが尊重される。勝手に飛び上がったりするのは規律違反。たちまちチェックされる。(このような教育を受けることでポテンシャルのある学生も)やがてグライダーらしくなって卒業する(してしまう)。

 
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明治以来、日本の知識人は欧米で咲いた花をせっせととり入れてきた。中には根まわしをして、根ごと移そうとした試みもないではなかったが、多くは花の咲いている枝を切ってもってきたにすぎない。これではこちらで同じ花を咲かせることは難しい。根のことを考えるべきだった。それを怠っては自前の花を咲かすことは不可能である。指導者がいて、目標がはっきりしているところではグライダー能力が高く評価されるけれども、新しい文化の創造には飛行機能力が不可欠である。

 
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「朝飯前」ということばがある。手もとの辞書をひくと、「朝の食事をする前。「そんなことは朝飯前だ」=朝食前にもできるほど、簡単だ、とある。いまの用法はこの通りだろうが、もとはすこし違っていたのではないか、と疑い出した。簡単なことだから、朝飯前なのではなく、朝の食事の前にするために、本来は、決して簡単でもなんでもないことが、さっさとできてしまい、いかにも簡単そうに見える。知らない人間が、それを朝飯前と読んだというのではあるまいか。どんなことでも朝飯前にすれば、さっさと片付く。朝の頭はそれだけ能率がいい。

 
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猛獣の訓練をするには、空腹のときに限るのだそうだ。腹がふくれたら、どんなことをしても動くものではない。動物は人間より自然の理に忠実なのである。人間は意思を働かせて、無理をする。眠くなっては寝るまいとする。ときにはそういうことも必要であろうが、そうそういつもしていてはいけない。食後はゆっくり休む。そのかわり、食前はすべてを忘れて仕事に真剣を集中させる。これは午前中をすべて朝飯前にするのがよろしい。八時に起きても四時間ある。その間に、その日の仕事をすませてしまう。

 
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デマがどうして伝播していくかという心理に興味をもった。ここでも、尾ヒレをつけずに話しを右から左へ移すことができない本能が人間にあるのではないかと考えた。二年か三年はそっとしておいたら、人間は、正本に対して、つねに異本をつくろうとする。Aのものを読んで、理解したとする。この結果は決してAではなく、A’、つまり異本になっている。

 
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なぜ、作家の幼少物語に優れたものが多いのか。素材が充分、寝させてあるからだろう。結晶になっているからだろう。余計なモノは時の流れに洗われて風化してしまっている。長い間、心の中で暖められていたものには不思議な力がある。

 
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はじめの一冊がもっとも時間を食う。したがってまず標準的なものから読むようにする。同じ問題についての本をたくさん読めば、あとになるほど、読まなくてもわかる部分が多くなる。最初の一冊目に三日かかったとしても、十冊で三十日、などという計算にはならない。一気に読み上げるのは、案外、効率的である。

 
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収穫逓減の法則。一定の土地で農作物を作るとき、それに投じられる資本と労力の増加につれて生産高は上がっていくが、ある限界に達すると、こんどは生産が伸びなくなって行く現象を支配する法則のことである。似たことが知識の習得についても見られるように思われる。知識ははじめのうちこそ、多々益々弁ず、であるけれど、飽和状態に達したら、逆の原理、削り落とし、精選の原理を発動させなくてはならない。つまり、整理が必要になる。はじめはプラスに作用した原理が、ある点から逆効果になる。そういうことがいろいろなところでおこるが、これに気付かぬ人は、それだけで失敗する

 
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思考の整理は名詞を主とした題名ができたところで完成する。

 
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クロード・ベルナールという生理・医学者は、「自分の観念をあまりに信頼している人々は発見をするにはあまり適していない」とのべている。三上を唱えた欧陽修は、また、三多ということばも残している。三多とは、看多(多くの本を読むこと)、做多(多く文をつくること)、商量多(多く工夫し、推敲すること)で、文章上達の秘訣三ヶ条である。これを思考の整理の方法として見ると、別種の意味が生ずる。つまり、まず、本を読んで、情報を集める、それだけでは力にならないから書いてみる。たくさん書いてみるそして、こんどは、それに吟味、批判を加える。こうすることによって、知識、思考は純化される。

 

 
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*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。

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