村上春樹の「女のいない男たち」
村上春樹の「女のいない男たち」を読みました。
「女のいない男たち」を共通題材に選んでまとめられた村上春樹の短編集。
本屋で発見し、直ぐに夢中になって読みました。
「ドライブ・マイ・カー」
「イエスタデイ」
「独立器官」
「シェラザード」
「木野」
「女のいない男たち」
いつもながらの村上春樹ワールドではあるのですが、この「女のいない男たち」は、いままで以上にとても「バランスが取れている」印象をうけました。文体の美しさのみならず、感受性の面白さという側面からも、メモっておきたくなるフレーズが随所に鏤められている一冊でした。
村上春樹の数ある短編集の中でも、僕の中でのベスト3にランクインしました。
以下、僕の中で「引っかかり」のあったコトバのメモを読んで興味がわいた人は、手に取って読んでくださいね。
「イエスタデイ」
しかし人生とはそんなつるっとした、ひっかかりのない、心地よいものであってええのんか、みたいな不安もおれの中になくはない
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「おいおい、それは文化的差別や」と木樽は言った。「文化ゆうのは等価なもんやないか。東京弁の方が関西弁より偉いなんてことがあるかい」
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二十歳前後の日々、僕は日記をつけようと何度か努力したのだが、どうしてもうまくいかなかった。当時は僕のまわりで次々に色々なことが起こったし、それに追いついていくのがやっとで、立ち止まってそこで起きたものごとをいちいちノートに書き留めておくような余裕はとてもなかった。そしてそれらの大半は、「これはどうしても書き留めておかなくては」と思わせてくれるような種類の出来事ではなかった。僕としては、強い向かい風の中でなんとなく目を開け、呼吸を整え、前に歩みを進めていくのがやっとだった。
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「独立器官」
僕は言った、「機転といえば、フランソワ・トリュフォーの古い映画にこんなシーンがありました。女が男に言うんです。『世の中には礼儀正しい人間がいて、機転の利く人間がいる。もちろんどちらも良き資質だけど、多くの場合、礼儀正しさより機転の方が勝っている』って。その映画をごらんになったことはあります?」
「いいえ、ないと思います」と渡会は言った。
「彼女は具体例をあげて説明します。たとえばある男がドアを開けると、中では助成が着替えをしているところで、裸になっています。『失礼しました、マダム』と言ってすぐさまドアを閉めるのが礼儀正しい人間です。それに対して、『失礼しました、ムッシュー』と言ってドアをすぐさま閉めるのが機転の利く人間です」
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彼は続けた。「ひとつの大きな問題は、彼女を知れば知るほど、ますます彼女のことを好きになっていくということです。一年半こうしてつきあっていますが、一年半前より今の方が、ずっと深く彼女にのめり込んでいます。今では彼女の心と私の心が何かでしっかり繋げられてしまっているような気がします。彼女の心が動けば、私の心もそれにつれて引っ張られます。ロープで繋がった二艘のボートのように。綱を切ろうと思っても、それを切れるだけの刃物がどこにもないのです。こういうのもこれまでに一度も味わったことのない感情です。それが私を不安にさせます。このままどんどん気持ちが深まっていったら、自分はいったいどうなってしまうんだろうと」
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すべての女性には、嘘をつくための特別な独立器官のようなものが生まれつき具わっている、というのが渡会の個人的意見だった。どんな嘘をどこでどのようにつくか、それは人によって少しずつ違う。しかしすべての助成はどこかの時点で必ず嘘をつくし、それも大事なことで嘘をつく。大事でないことでももちろん嘘はつくけれど、それはそれとして、いちばん大事なところで嘘をつくことをためらわない。そしてそのときほとんどの女性は顔色ひとつ、声音ひとつ変えない。なぜならそれは彼女ではなく、彼女に具わった独立器官が勝手におこなっていることだからだ。だからこそ嘘をつくことによって、彼女たちの美しい良心が痛んだり、彼女たちの安らかな眠りが損なわれたりするようなことはー特殊な例外を別にすればーまず起こらない。
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「シェエラザード」
「やつめうなぎはどんなことをかんがえるんだろう?」
「やつめうなぎは、とてもやつめうなぎ的なことを考えるのよ。やつめうなぎ的な主題を、やつめうなぎ的な文脈で。でもそれを私たちの言葉に置き換えることはできない。それは水中にあるもののための考えだから。赤ん坊として胎内にいたときと同じよ。そこに考えがあることはわかるんだけど、その考えをこの地上の言葉で現すことはできない。そうでしょう?」
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シェエラザードはそれを聞いてすこしがっかりしたみたいだった。「いずれにせよ高校を卒業すると、私はいつしか彼のことを忘れてしまった。自分でも不思議なくらいあっさりと。彼のどんなところに十七歳の自分がそんなに激しく惹かれたのか、それすらほとんど思い出せなくなってしまった。人生って妙なものよね。あるときにはとんでもなく輝かしく絶対的に思えたものが、それを得るためには一切を捨てていいとまで思えたものが、しばらく時間が経つと、あるいは少し確度を変えて眺めると、驚くほど色褪せて見えることがある。私の目はいったい何を見ていたんだろうと、わけがわからなくなってしまう。それが私の<空き巣狙いの時代>のお話」
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「木野」
本を読むのに疲れると、ページから目を上げ、前の棚に並べられた酒瓶をひとつひとつ眺めた。まるで遠くの国からやってきた珍奇な動物の剥製を点検するみたいに。
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男たちのそのような傍若無人な振る舞いを苦々しく思っていることは明らかだった。表情こを変えなかったものの、彼の左手の指は、ピアニストが気になる特定のキーを点検するときのように、小さくカウンターをとんとんと叩いていた。この場をうまく収めなくては、と木野は思った。ここは彼が進んで責任をとらなくてはならない場所なのだ。木野は二人のところに行って、申し訳ないがもう少し声を小さくしてもらえないかと丁重に頼んだ。
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「でもね、蛇というのはそもそも賢い動物なのよ」と伯母は言った。「古代神話の中では、蛇はよく人を導く役を果たしている。それは世界中どこの神話でも不思議に共通していることなの。ただそれが良い方向なのか、悪い方向なのか、実際に導かれてみるまではわからない。というか多くの場合、それは善きものであると同時に、悪しきものでもあるわけ」
「両義的」と木野は言った。
「そう、蛇というのはもともの両義的な生き物なのよ。そして中でもいちばん大きくて賢い蛇は、自分が殺されることのないよう、心臓を別のところに隠しておくの。だからもしその蛇を殺そうと思ったら、留守のときに隠れ家に行って、脈打つ心臓を見つけ出し、それを二つに切り裂かなくちゃならないの。もちろん簡単なことじゃないけど」
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*企画は身体性。良質な企画は世の中を変える。
*良きインプットが良きアウトプットを作る。
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